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どうせ死ぬのになぜ生きるのか (PHP新書)

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」との問いについても、興味がないわけではないんですが、本当の学びは自発性を刺激しなければ生じないとの記述に蒙を啓かれました。
そして、自発性を根底のところで刺激するのは、名越先生によればマイナスを埋めたいという欲求だそうです。
「人が継続的にやる気を出すのはどんなときか。
それは『本能レベルでの自発性』が刺激されたときです。」
「『劣等感や挫折感をなんとか解消したい』ということを願ったとき、僕らの自発性に火がつく。」んだそうです。
いやー、凄いことを教わっちゃいました。
仏教はすでに古代から人間の心理について深い洞察があったそうです。
自分の思いは妄想かもしれない。
世界の本当の姿を知るには行に取り組むとよい。(と書いてあったと思います。)
貧・瞋・痴が仏教では三毒とされているそうです。
中でも瞋=怒りが最も人間を傷つけるそうです。
怒らないようにしなければと思います。
また、すべての者は変化し続けるから、心も変わる。
すべてが変わるのに、固定観念に縛られるのは、法を理解していない痴である。
仏教の神髄は瞑想にあるそうです。
ここで述べられているのは座禅とは違うようです。
自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン

つらい時の名越頼み。
瞑想法、不安を沈める方法を再確認しようと思って、再読しました。
妄想に取りつかれると人はリアリストになりやすく、リアリストは妄想に取りつかれやすいそうです。
全く逆だと思っていました。
大事なことを忘れているので何度も読み返したいと思います。
毎日トクしている人の秘密

不幸よりも不安の方が問題だそうです。
不安を減らせば楽になる。
不安を無くすためには今ここに集中する。
将来のことを考えないわけではない。
将来のことが見えるようになるんだそうです。
将来の不安に駆動された頑張りは結局不安の連鎖につながるのでしょう。
今ここに集中するためには何百年もの長いスパンで今を見る。
不条理を受け入れる。
人生は本質的に不条理なものだから、これを受け入れなければ死ぬしかないか?
または、ひきこもるしかないでしょうね。
自分の感覚は嘘かもしれないと疑う。
もしかしたら妄想かもと疑ってみる。
嘉月堂のプロフィール

[…] この本の前に読んだ名越康文氏の仏教関連の本も同様のことを言っていました。 […]