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AIとBIはいかに人間を変えるのか(波頭亮著) 感想
◆全体的な感想 AIとBIが登場する未来への「もやもや」がなくなる。◆
波頭亮さんのAI(人工知能)とBI(ベーシックインカム 国民全員に生活できるだけの現金を無条件に給付する制度)に関する本を読んでみました。
波頭さんはAIとBIをなぜテーマに選んだのか。
単なる語呂で選んだわけではありません。
第3章で詳しく書かれていますがAIとBIが登場してくるのは波頭さんによれば必然です。
私は波頭さんを上杉隆氏のニューズオプエドで知りました。
コメントが大変参考になり,頭が良い人なんだろうなーとずっと思っていました。
これまでAIについて落合陽一さんなどの本を読んでみました。
シンギュラリティがきて明るい未来が来るということをおっしゃっていました。
落合さんは著書も多数あり,メディアにもご出演されていて,注目を集めている有能な研究者,実業家です。
そんな落合さんのおっしゃることなのでAIについての未来もそうなんだろうと思っていましたが,なんかもやもや感があったことも否定できません。
そんな時見つけたのがこの本です。
波頭さんのこの本ではAI登場後の未来を明快,かつ,強固な根拠をもって提示していただき,もやもや感がなくなりました。
「単なる未来予想の一つの寓話」ではありません。
事実をもとに詳細に分析されています。
「AIに仕事が奪われるのでは」とお考えの皆さん。
その通りです。取って代わられる仕事は少なからず(というか,たくさん)あります。
しかし未来は暗くはありません。
漠然とした不安をお持ちの方はこの本をご一読されることをお勧めいたします。
AIに仕事を奪われるのではないかとの心配がやはりありますが,AIに苦手な分野は三つ。
1 身体 2 感情 3 創造性
知的な分野はAIが得意なのでほとんど人間に取って代わる。
これから人間は生産にかかわらない可能性すらある。
そうするとAIを保有している資本家が人々を支配するディストピアに向かってしまう。
そこで登場するのが富を再分配するBI。
◆「まえがき」について ◆
AIとBIは世の中の現状を根底から覆してしまう可能性を持っています。
スマホによる生活の変化などとは,けた違いのマグニチュードで社会にインパクトを与えます。
私たちは,今,産業革命やルネッサンスに匹敵するほどの歴史的な転換点に立っているようです。
のほほんとしてはいられません。
AIとBIは世の中をどのように変えるのでしょうか。
◆「第1章 AI 人工知能とは」について◆
AIが発達することによってもたらされるのは
・知的労働の価値の暴落
・感情労働の価値の向上
です。
社会と仕事と人生の価値体系の主軸が,知性から感情・感性へとシフトします。
▼AI発展のボトルネック▼
電力・エネルギー問題がこれからのAI発展のためのボトルネックになる。
▼AIの強み▼
〇AIの得意分野は
・膨大な情報分析・処理を迅速に行う
・情報/データの特徴や規則性,相関関係を抽出・学習する。
・客観的妥当性の高い解を導く。
・情報を定量化する
など。
〇人間は経験により判断するので,未経験の情報を見落としがちだが,AIにはそのような偏りはない。
▼AIの弱み▼
いまのところAIは万能ではありません。
弱みもあります。
〇AIの不得意な分野は
・少ない情報/データから推論する。
・言葉の背景にある意味・意図を解釈する。(本音と建前の判断)
・因果関係を読み取る。
・(非合理性を含む)人間がかかわる事象に対して解を出す。
・トレードオフが生じる中で意思決定をする。
・目的/目標設定を行う。
・ゼロからイチを生み出す。
など。
これら「解が一つに定まらない」もしくは「そもそも正解がない」ものに対して自分ならではの見解を示したり,不確実性が高い状況の中で不完全な情報を基に背景を推論したり未来を予測するような,主観や曖昧さを扱うたぐいのタスクは苦手です。
AIは人工知能として人間異郷の地的能力が期待されているが,心や身体を持てないため,人間の知能を完全に代替することはできません。
一安心ですね。
▼AIに代替される仕事▼
AIが登場することが確実ならそれに備えることが必要です。
AIに代替される仕事は
・定型的情報加工と論理的判断の仕事を根こそぎ代替ししまう。
例:プログラミング,経理作業,データ分析,金融トレード,弁護士助手の判例・文献検索,人材採用担当者の応募者のレジュメスクリーニング,会計士,税理士
・知的プロフェッショナルの報酬暴落
▼AIが苦手とする仕事▼
AIが苦手とする仕事は
☆身体性ベースのマルチタスク要素☆
例:(意外ですが)コンビニ店員→レジ打ちから,発注,ロス管理,品出し,POPの作成,掃除,マルチメディアステーションのサポートや宅配便受け取りの対応までを行うといったことは,身体性を持たないAIでは現実的には不可能
「体を使った何でも屋さん」ということでしょうか。
☆直観/直感の要素☆
例:経験,直感,第六感を使って危険を回避する消防士→身体性を伴った直観/第六感,直感や大局観が重要とされる経営判断→知的労働でありながら直観が重要視される仕事
☆クリエイティブ要素☆
人の心を揺さぶるような本当の意味でのアート
*レンブラント風,〇〇風といった模倣はAIが得意とするところ。
▼AIが最も苦手とする仕事ー感情労働ー▼
感情労働はAIが最も苦手とするところです。
なぜなら,感情労働では身体性と心が重要であり,直感やクリエイティブ性までもが求められる最も人間的な仕事だからです。
感情労働は人間への需要が拡大し,報酬も上がっていくと予想されています。
例:コールセンターのクレーム担当者,医療や介護,カウンセラーといった人の精神的ケアを求められる職業や,高級ホテルやクラブなどでの細やかな接客,モチベーションを喚起させたり厳しく指導したりするコーチ
▼感情労働ーもう一つの問題ー▼
感情労働を仮にAIが代替できたとしても,AI相手では心的成長(自信,信頼,愛情,尊敬)が阻害されると懸念されます。
例:乳幼児に母親が語り掛ける場合と音声テープを聞かせる場合とでは言語習得率は前者が有意に高い
▼人間の能力低下リスク▼
自動車が便利だからといって自動車にばかりのっていると足腰が弱くなってしまいます。
同様に,AIが便利だからといって何でもAIに頼っていると,本来AIを合理的に使いこなすために必要な理性や知性を衰えさせることになってしまいます。
◆「第2章 ベーシック・インカム(BI)の仕組みと効力」について ◆
先進各国では市場主義的なメカニズムによって必然的に生じる格差と貧困が大きな社会問題となっています。
この格差と貧困問題に対して各国政府は様々な経済政策を施したり社会保障/社会福祉を充実させて対応してきているものの,根本的な問題解決には至らず,人口と経済の成熟化が進むにつれて問題は深刻化していっています。
また対症療法的にあれやこれやと対応策を講じてきた結果,多種多様な施策が交錯して複雑になり,運用が困難になるといった問題も生じています。
こうした状況を打開する手段として,近年世界中から注目が集まっているのがBIです。
▼BIの制度的長所▼
(1)シンプルである。*参照 生活保護申請
(2)運用コストが小さい。*参照 生活保護関連職員約1.4万人+非常勤・外注
(3)恣意性と裁量が入らない。
*参照 生活保護受給資格者約1000万人(収入・所得水準からの推計)
実際の生活保護受給者約200万人
↓
莫大な数の申請却下=給付の可否における裁量,恣意的な判断
(4)働くインセンティブが失われない
労働収入が増えても支給額は変わらない。
*生活保護では労働収入が増えると支給額が減り,場合によっては労働
収入を得た場合は生活が苦しくなる。
(5)個人の尊厳を傷つけない
*生活保護では個人的事情を詮索されるなど
▼BIの経済的メリットー景気対策としても有効ー▼
日本の消費動向はこの20年間ずっと停滞しています。
数々の財政政策,金融政策を講じてきたが,根本的な景気回復には貢献できていません。
なぜかというと,これまでの政策は大企業や富裕層を豊かにする反面,ほとんどの国民が属している中間層から低所得層の生活を苦しくさせ,国全体としての消費を抑制する類のものだったからです。
人口増加が止まり,潜在成長率が停滞している中で,経済格差が拡がり中間層がますます縮小していく日本においては,いくら金利を下げたり貨幣供給量を増やしたりしても,国民の大多数を占める中間層の所得と消費にはつながらないため,景気の高揚と国民経済の成長は実現しません。
このような日本においては,低所得層を中間層へと押し上げ,消費活動を後押しすることが,経済活性化のためには不可欠です。
そのためには,消費性向の低い富裕層から消費性向の高い低所得層へと富を移す「再分配」が求められます。
低所得層にお金が回れば,そのほぼ全額が衣食住や子供の学費,家族の旅行といった消費に回ります。
消費性向の高い中間層~低所得層に対して広くお金が回るBIは,国家全体としての消費を押し上げるための巨大な再分配装置です。
BIは国民経済を活性化させ,経済成長を促進する効果を持っています。
▼BIの経済的メリットー企業・産業界も活性化させるー▼
これまで企業や産業界が担っていた失業保険などのセーフティネットをBIが代替するため,企業の負担が軽減され,解雇規制の緩和や雇用保険が軽減され,企業はより自由に,合理的に市場対応することができるようになります。
手厚い社会保障で国民生活のセーフティネットが整備されている北欧諸国の経済が2000年代以降,北欧以外のEU諸国以上に好調なのは,こうした解雇規制が緩いことなどを背景とした自由な企業活動によって産業構造が高度化し,生産性の向上が継続したからです。
▼BIの懸念点ーフリーライダー問題ー▼
現在BI類似制度の試験的導入をフィンランド,オランダのユトレヒト市,カナダのオンタリオ州などで行っているが,働かない人が増大したという事実はありません。
人は「食うため」「住むため」などの生理的/低次欲求を満たすためだけに働くのではなく,社会的承認や自己実現といった高次の欲求を満たすために,能動的に仕事をし,自らの主体性と尊厳を得ようとします。
▼BIの懸念点ー財源が足りないー▼
全国民(1.27億人)に一人当たり月額8万円ずつ給付するとすると必要な財源は年間約122兆円。
この財源に充当できるのは
・BI導入によって不要となる国民年金・基礎年金額の約22.2兆円
・生活保護の生活扶助費の約1.2兆円
・雇用保険の失業保険給付費約1.5兆円
・厚生年金約32.4兆円 *BIは強者から弱者への再分配制度であるから。
合計57.3兆円 (不足64.7兆円)
更に
・消費税率アップ 15兆円 *国民負担率は日本が最低
・金融資産課税 41.9兆円
*BIによって解決すべき問題は経済格差。
*格差解消のために有効なのは,資産税,相続税,所得税における累進課
税。
*貧富の格差が開いていくのは,所得格差によるよりも資産格差によるとこ
ろが大きい。
*日本は,資産5000奥ドル以上の超富裕層は少ないが,資産100万ドル以上
の富裕層や約435万人のアメリカに次いで約245万人もおり世界で第2位で
ある。しかも,国の総人口に占める保有資産100万ドル以上の富裕層の比
率ではアメリカを上回って世界第1位。日本は大金持ちは少ないものの,
そこそこのお金持ちが多数存在している,富裕層が多い国といえる。
*現在の深刻な格差を生んでいる根源的要因はしさんかくさであり,資産格
差の主たる部分を成しているのは金融資産なのであるから,金融資産課税
を避けるべきではない。
・法人税増税 2.9兆円
合計59.8兆円(不足4.9兆円)
また更に
・高所得層への累進課税の強化
・奢侈的消費に対する物品税の導入
・相続税の税率アップ/控除額圧縮
等々
▼BI導入の障壁ー官僚の抵抗ー▼
民主党政権の看板政策であった「子ども手当」が2年足らずで廃止となったのは,だれでも一律にという性格を行政が嫌ったからだそうです。
自分たちの裁量・差配の余地が侵食されることを官僚は嫌います。
シンプルかつ裁量・差配の余地のないBIを実際に導入しようとした場合には,行政/官僚機構の差配と肥大化の本の大きな障害となると予想されます。
▼BI導入の障壁ー「働かざる者食うべからず」の社会通念ー▼
経済が豊かであるにもかかわらず人口が減少しているという事実は,人類が新しいステージへとシフトすることを促すシグナルかもしれません。
とすれば,人類史上初の経済水準に見合った新しい規範と新しい社会の仕組みを再構築すべきであると考えることにも理があるのかもしれません。
*このテーマは第3章でも取り上げています。
▼イギリスでホームレスにお金を与えたらどうなったか▼
2009年にロンドンで男性ホームレス13人に一人当たり月額3000ポンド(約45万円)を無条件で与えました。
特段のサポートは行わず,お金をどのように使うかを彼ら自身に委ねました。
その結果,実験開始から1年半後には,13人中7人が屋根のある生活を営み,2人がアパートへ移ろうとしており,そして支払い能力の獲得や個人的成長に繋がるような社会的離ハビリ,講座の受講,将来の計画立案といった「良き」方向に13人全員が動き出していました。
彼らに対する給付金以外の行政コストを大幅に削減し(年間約5250万円),「単に生き延びるだけの人生」から「前向きに生きる人生」,そして「生産活動に関わる人生」に向けた転換をもたらしたという点において,画期的な社会実験であったとみなされています。
フリーマネーは人を怠惰にするという懸念がしばしば示されるが,貧困層が貧困層から脱するための手段や方法論は実は彼ら本人が一番知っているということを,ロンドンの実験は示しています。
お金を得ることさえできれば,彼らは前向きに生きるための選択肢を手に入れ,社会生活と経済活動に積極的にかかわることができるようになるのです。
▼日本の格差の現状▼
日本の所得におけるジニ係数(経済格差を測るときに用いられる。0に近いほど平等であり,1に近いほど貧富の差が大きい。0.4を超えると社会騒乱が起きるリスクが高まる。)は,年々増加の一途をたどっており,2015年時点で過去最大の0.57に達しています。
社会保障や福祉政策による再分配後のジニ係数で見れば,ここ何年かは0.38程度の水準を保っていますが,社会騒乱のリスクが高まる0.4のラインで何とか持ちこたえている状況といわざるを得ません。
日本の相対的貧困率(等価可処分所得の中央値の半分以下の人の割合)は2011年時点で16.0%に達しています。
これはOECD平均の11.6%を大幅に上回る水準であり,日本国民の6人に1人が等価可処分所得122万円以下での生活を強いられているということになります。
更にひとり親世帯の子どもの相対的貧困率は50.8%とOECDの加盟国中で最悪です。(OECD平均は31.0%)
この二つの指標が何を意味するかというと,富の再分配が過少であるということと,貧困層が通常の生活を営むことすら困難な金銭的困窮に陥っているということです。
日本には超富裕層(資産5億円以上)の下の富裕層(資産1億円以上)は,日本全体の経済成長が事実上止まってしまっているこの20年間の間にも年々増加してきています。
国民の人口における富裕層の割合は1.9%と,ドイツ,アメリカの1.4%を抜いて主要国中では世界1位です。
この指標で見るならば,「日本は世界で一番お金持ちの割合が多い国」といえます。
その一方で,日々の生活に所得をすべて費やしてしまい,資産を全く持てない貯蓄ゼロ世帯も増加傾向にあります。
富裕層が増える一方で貯蓄ゼロ世帯も増加しているという現状をうかがい知ることができます。
所得の面でも資産の面でも,富める者はさらに富み,貧しい者はさらに貧しくなるという二極化現象が進行しています。
▼教育格差と「欠乏の心理」▼
経済格差を無くすためには,BIや社会保障よりも教育投資の方が効果的との意見もあります。
しかし,教育支援だけで貧困家庭を救うことは困難です。
なぜなら,貧困家庭においては,店を手伝わせる,アルバイトに出すなど,子どもを重要な労働力として捉えがちだからです。
貧困家庭の子どもの教育環境を変えようとするならば,まずは子供ではなく家庭の経済環境を変えなければなりません。
▼現行の社会保障制度の限界▼
現行の社会保障制度は,約30年前の制定当初は有効性が高いと考えられて施行された制度であったし,かつては実際に有効に機能していました。
それがこの約30年間に有効性を失い,むしろ格差と貧困を助長するような作用まで生むようになってしまっています。
この原因は,人口動態の大きな変化です。
老年人口の急増は,医療や介護といったサービスの急増につながります。
わずかばかりの社会保障費や税制の改定では,この増加分を担うことはできません。
このとばっちりを受けるのは,現役世代の中で経済的補助を必要としている人です。
そして現役世代が割を食うことになると、社会全体が長期的衰退に向かう悪循環に陥ってしまいます。
生活補助,子育て支援等カット→貧困層にとどまる→税収増えず,年金未納→社会保障財源減少→年金受給できず生活保護=社会保障費の増加
このように社会構造の変化に対応できていないということに加えて,現行の社会保障が古い社会構造を基に構築された制度であることもゆがみを生む要因となっている。
(1980年代のセーフティネット)
1 企業・産業界のセーフティネット(年功序列,終身雇用)
2 家庭のセーフティネット(夫婦・その両親が同居して家事・子育て・介護などのい亭のケアを分担する。)
3 公的なセーフティネット
↓ 変化
(2000年代以降のセーフティネット)
1 企業・産業界のセーフティネット→消失
2 家庭のセーフティネット→「消失
3 公的なセーフティネット→存続
近年では実質的には自分で自分の人生と生活を守らなければならない社会へと変容しています。
こうした変化によっておこるのが消費の沈滞です。
▼格差と貧困に対する対応ーヨーロッパー▼
各国とも50%台後半から70%程度の高い国民負担を設定して大きな再分配政策をとることによって格差と貧困問題の緩和に成功している。
こうした再分配策が奏功して,EU諸国の経済成長率はゼロ成長の日本を大きく上回っているのはもちろん,格差解消よりも経済成長を重視した原理主義的な市場経済を営むアメリカと遜色ない水準を達成しています。
特に高い国民負担率による手厚い差異分配が際立った北欧諸国が,それ以外のEU諸国よりも高い経済成長率を実現しているのは特筆すべき実績です。
また国民負担率は70%という世界最高水準であるにもかかわらず,世界で最も幸福度が高いという結果を示したデンマークも注目に値します。
国民負担率が高くても,社会保障が充実していることによって,「生きていく不安」がなければ,国民は幸福な気持ちで生活を営めるということです。
▼格差と貧困に対する対応ーアメリカー▼
国民負担率が30%と主要国の中で最も低い。
アメリカは,市場メカニズムを最大限に尊重し,資本主義のダイナミズムを重視する方針をとっています。
アメリカは移民を積極的に受け入れて人口増を政策的に実現しています。
また,経済のダイナミズムを確保するために優遇税制などの支援策によって企業を促し,その成果としてグーグルやフェイスブック,アップルといった世界的巨大企業を登場させることに成功しています。
しかし,アメリカの中間層の実質所得はこの30年間ほとんど増加していません。
また,アメリカの上位1%の富裕層が国全体の資産の40%を独占しているという深刻な格差問題も生じています。
▼格差と貧困に対する対応ー日本ー▼
GDPの成長率は2000年以降ほぼゼロ。
欧米諸国は人口が成熟しているドイツやデンマークも含めて,この15年間でどの国も30%~50%の成長を達成しているのだから,日本は経済政策全般において明らかに合理的な対応ができていないと言わざるを得ません。
格差・貧困問題に対する社会保障制度に関しても劣等生です。
ジニ係数,相対的貧困率、母子家庭の相対的貧困率等々の指標において,OECD34か国中最低の水準にあります。
しかもそうした問題が年々悪化しているのも深刻な問題です。
ヨーロッパ諸国のように手厚い社会保障や医療・介護といった社会保障のセーフティネットを整備するでもなく,教育に投資したり研究開発を大胆に支援したりするわけでもなく,膨大な財政赤字の中で法人税減税・所得減税を続けながら,逆進性のある消費税増税ばかり進めてきた結果,格差と貧困問題が深刻化し,国民経済も沈滞するという悪循環のような国家運営をしてきたことの必然的な帰結でしょう。
そうした現状において日本がとり得る現実的な選択肢は,ヨーロッパ型の再分配強化しかありえないようです。
高齢化と人口減少が同時に進行している社会構造では,アメリカ型の原理主義的な市場メカニズム徹底方針をとるのは適しません。
▼民主主義・資本主義とBI▼
格差と貧困問題は,社会保障制度の問題にとどまらず,マクロ的/国家的なさらに重大な問題に発展していきます。
それは民主主義と資本主義を実質的に崩壊させてしまうという問題です。
資本主義は経済成長が継続することによってうまく回ります。
しかし,人口の増加が止まり,経済成長が鈍化すると,好循環が途絶えます。
人口が減少→経済成長とまる→所得増加せず→生活向上せず→収益増加せず→資本と労働に分配において奪い合いが起きて,社会情勢も企業経営も安定を欠く
日本を筆頭に現在多くの先進資本主義国で起きているのが,人口の成熟に端を発するこの悪循環のプロセスであり,「格差と貧困」を要因とする経済の不調と社会の不安定化という問題です。
格差は,個人の自由と機会の平等を最重要理念とする民主主義の根幹に反するものです。
格差と貧困は資本主義にとっても好ましい現象ではありません。
貧困層は生きるための消費で精いっぱいで,新しい財やサービスを旺盛に消費するパワーを持ちません。
そればかりか,経済的余裕のない世帯が増えれば出生率はますます低下し,国民全体の教育水準も向上せず,ひいては企業競争に必要な技術開発力も低下してしまうことになります。
格差と貧困問題の解決は,民主主義と資本主義を再生させることに直結した重大イシューです。
この問題解決に最も有効なのがBIであり,BIの導入こそが民主主義を守り,資本主義のダイナミズムを回復させてくれる,たぶん唯一の方策だと思われます。
◆「第3章 AI+BIの社会で人間はどう生きるのか」◆
AIとBIによって,人間は食うため,生きるための労働から解放されます。
これって,マルクスが描いた社会ではないですか!?
でも,共産主義,社会主義って失敗したんですよね。
これについても波頭さんは明快に答えてくれます。
社会主義,共産主義が失敗したのは,市場経済を導入しなかったから。
市場経済を導入しなかったために,資源配分の神の手が働かなかったために,経済が非効率化し西側諸国に対抗できなかったそうです。
現在残っている社会主義国は中国とキューバ。
中国は市場経済を導入し経済が成長しています。
キューバは経済成長していませんが,医者も労働者も給料は一緒。
しかし,医療,教育などは無料で,生活への不安がなく,国民の満足度は高い。
でもこのユートピアのような社会で,人間はどう生きればいいのか,意外に難しい。
今までは生活のためというモチベーションがありましたが,自分の好きなことをやっていいと言われても,なかなか見つからない。
これからは,やりたいこと以外やってはいけないのかもしれません。
最近,吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」が流行っているのも,関係があるのかもしれないなと思いました。
▼AIとBI ー語呂で選んだわけではありません。-▼
AIは科学技術の最先端のテーマであり,BIは格差と貧困解消のための社会保障制度の切り札です。
全く異なる分野の全く異なる目的を持ったテーマでありながら,実は「人類の叡智」として繋がるものです。
資本主義と民主主義によって構築されている現代社会は,資本主義のメカニズムによって必然的に生じる格差と貧困問題によって閉塞し,破綻しかかっていますが,これを打開できるのがBIです。
しかし,BIの経済成長の効果はそれほど大きくなく,日本ではせいぜい3~4%です。
経済を大きく拡大し,現実的な豊かさを向上させる効力を持つのがAIです。
AIは経済全般の生産性を飛躍的に向上させ,かつての産業革命に匹敵するような豊かさをもたらしてくれる可能性を持ちます。
しかし,AIは人類にとって重大なリスクにつながる可能性もあります。
それはほとんどの人が仕事につくことすらできないディストピアの到来です。
現在の経済活動において価値を生むのは資本と知識です。
現在は資本は資本家が知識は知識労働者が担っています。
しかしAIが発達し,知識・頭脳労働において人間がAIに敵わなくなると,価値を生産するための経済活動に人間が関われなくなってしまいます。
そうなるとAIだけが生産活動を担い,そのAIを所有する資本家が経済の絶対的な支配者になってしまいます。
このことは,資本家が富を独占することを意味します。
このディストピアに向かわないために不可欠なのが,AIが生み出した富を「再分配」することです。
再分配施策の中で最も民主主義的かつ経済合理的なのがBIなのです。
▼AIがもたらす豊かな世界ー概観ー▼
10年後から20年後には特化型AI多くの分野で人間の能力を上回り,30年後から50年後には汎用型AIも開発されるだろうという予測が多いです。
*特化型AI(あるタスクの遂行に特化されたAI)
*汎用型AI(一つの能力に特化されたおらず,様々な場面に臨機応変に対応できるような能力を備えているAI)
10年後から20年後という近未来に様々な分野において特化型AIが人間の能力を超えるのは間違いないようです。
また汎用型AIが完成するころまでには,人工筋肉や精巧なメカの開発が進み,様々な情報処理の結果を物理的な動きに展開できるロボットが登場して,知的判断だけでなく実際の動作の面でも人間と同等かそれ以上の能力を持ちうる可能性も十分にあるようです。
▼AIがもたらす豊かな世界ーそのスケールー▼
〇技術開発が生活を豊かにするための2つの条件
(1)人間が担っていた物理的パワーを代替する技術
(2)様々な応用に展開できる汎用型インフラ技術
例:第1次・第2次産業革命における蒸気機関と内燃機関・電力の発明
*マルサスの罠:生産力が上がっても人口増に吸収されて生活や豊かにならなかった。
〇生活の豊かさとは
かつてはほとんどの人々は,日中は目一杯働き,夜は疲れて眠るという「何とか生き延びる」生活を送っていたのに対し,現代では多くの人が,楽しむために食事やスポーツをし,行きたいところを訪れる旅行をし,かつては王侯貴族だけの特権であった音楽や芸術を楽しむことができます。
「豊かさ」とは,単に取得・消費する財貨の量ではなく,生存するための行為から独立した,楽しむためという動機で活動するための「自由度の大きさ」のことと考えてよいと思われます。
〇AIがもたらす豊かさのスケール
AIは生活の豊かさをもたらす2つの条件を満たしている。
(1)AIは現在人間が担っている知的パワーをほとんどすべて代替してくれる
例:税理士・会計士が代替される。ゴールドマンサックスの運用担当者が600人から2人に縮小
(2)ディープラーニングの発達によってAIはインフラ的技術としての要件を得て,カンブリア紀の生物の爆発(「眼」の獲得による大爆発)と同様に,応用用途の飛躍的拡大が現実化した。
〇AI登場後の経済効果,生産性向上はどのくらいか
AIが貢献しうる分野では,GDPの増大といった単純な定量的計算が難しい。
例:ゴールドマンサックストレーダー600人から2人へ→300倍
しかしアルファ碁の生産性は人間チャンピオンの生産性の何倍か測れない。
〇AIのもたらす豊かさはどのように測ればよいか
GDPをはじめとするこれまでの経済指標は,物質的な財や利便が社会に満たされていない段階にいおいては有効でした。
しかし,物質的な豊かさがある程度満たされ,社会的水準が「最低生活費水準」を大幅に超えた時点においては,取得できる財貨の量によってではなく,やりたいことをやれる自由度の大きさが豊かさを表すようになります。
第一次・第二次産業革命によって生産力が飛躍的に増大し,その生産性向上のスピードが人口増加のスピードを上回ったことによって,人々の生活水準が有史以来初めて最低生活費水準を超えて豊かな日常を楽しめるようになったが,このことが第一次・第二次産業革命がもたらした文明論的な成果です。
AIの発達がシンギュラリティに達すると,ある意味これと同様の文明論的な変革が起きることになります。
AIは摩擦的失業の解消が追いつかないほどのパワーを持っており,究極的にはすべての生産がAIだけで賄われるようになり得るという点が,AIがもたらすインパクトなのです。
AIが,人間が労働しなくても人間が必需とするモノを全て生産してくれるようになるからこそ,人間は次なる豊かさをもとめることができるようになります。
GDP,GNP,GNIといった経済指標が生活の質(QOL)を考慮した場合の実質的な豊かさと乖離しているという指摘は,かねてよりなされていました。
社会と個人の豊かさを測る指標としては,スティグリッツの幸福度指標,ブータンが国家指標としているGNH,経済指標に非経済指標を加えたGNW等が提唱されています。
AIが人々の生活にもたらす豊かさ=自由度を測るためには,このような人々の生活の自由度や心情的満足度を測る指標を用いるべきと考えます。
AIによって生きるための労働や利便のための生産活動から人間が解放されることで我々が享受することができる豊かさ,すなわち自由度の大きさは,第一次・第二次産業革命のインパクトを優に超えていると考えて差し支えないようです。
▼AIとBIが結びつく必然性―二つのディストピアー▼
AIの技術がさらに向上し,ハードウェアの性能も向上してくると,ちてき労働において人間が太刀打ちできる分野はほとんどなくなってしまいます。
こうなった時,社会を根底から崩壊させてしまいかねない2つの小僧的問題が起きます。
(1)資本家による社会の完全支配
(2)消費の減退による経済の崩壊
〇資本家による社会の完全支配
AIが導入されると,クリエイティブ系,マネジメント系,ホスピタリティ系の仕事以外は全てAIが担うことになります。
経済活動から労働者の役割が消失し,資本/資本家だけで生産活動が完結してしまいます。
資本家だけが思い通りにものを作り,思い通りに値付けをし,思い通りに賃金を決めるという経済の独占的支配者になってしまうことが考えられます。
そうなった時,利潤の極大化を最大の動機とする資本/資本家が労働者に支払う賃金は,第一次・第二次産業革命が起きるまでずっと維持されていた「最低生活費水準」にまで押し下げられると考えられます。
〇消費の減退による経済の崩壊
AIによって仕事を失うことは,所得を失うことに繋がります。
所得がなければ財やサービスを購入することができません。
つまり,経済活動における消費が減退・縮小してしまうことになるのです。
一握りの資本家だけでは消費量にはおのずと限界があります。
力強く経済成長を促進し,経済を活性化させるのは中間層です。
最低生活費水準の5~10倍程度の所得を得て,次々に新しい財やサービスを購入・消費してくれる中間層が存在してこそ経済は成長し,その経済成長があってこそ世の中の豊かさレベルは上がっていくのです。
かつての専制国家において,皇帝や国王が富を過分に独占した結果,庶民が疲弊して国力が衰退し,結局は社会が不安定化し内乱が起きて国家が自滅したり,国力の弱体化に付け込まれて他国に攻め滅ぼされたりした歴史と同様の展開になってしまうと考えられます。
▼再分配というキーワードで結びつくAIとBI▼
生産活動に関われない人間は消費の原資を持てないが、人びとはものがいらなくなるわけではありません。
消費者に財・サービスを効率よくいきわたらせるためには購買力を提供しなければなりません。
つまり,資本家の側から消費者に対して再分配を行う必要があります。
今後AIがますます発達し,技術的生産性が現在よりもはるかに向上したとしても,それだけで世の中が豊かになるわけではありません。
財・サービスを人々が購入できてこそ豊かになるのです。
AIが生産活動のほとんどを担うようになった社会では,その生産物を消費することが人間の経済的役割となります。
そのためには再分配が不可欠であり,再分配が実現されてこそ経済の歯車が勢い良く回って経済成長が実現するのです。
BIは現在の社会保障の非効率と不公正を修正するために最も合理的な施策であるが,再分配というキーワードを介してここでAIと結びつきます。
新しい時代のBIは生きていくために必要な金額というよりは,様々な楽しみや自由な活動を支えることができるだけの金額として設計した方が経済全体の活性化に有効であり,支給される消費者にとってだけでなく,財・サービスを供給する側の資本家にとっても得るものは大きくなる。
(理由)
AI化時代においては生産は圧倒的に効率化される。→最低限の生活を維持するコスト低下→経済成長をけん引するのは供給側の効率化ではなく,需要側の活性化=需要の増大=購買力の増大
(例)フォード 労働者に他の企業の2倍の報酬→大量生産した製品を大量消費させる
人類はかつての産業革命以上の大きなパラダイムシフトを迎えようとしているが,AIとBIが人類を「新しいステージ」に導いてくれる両翼となるのです。
▼「働かなくても食ってよし」▼
「働かなくても食ってよし」がBIの基本理念
しかし,「働かなくても食ってよし」はという考え方は,権利と責任をセットで考える民主主義の理念にはあっていない感じがします。
経済の観点からのBIの必要性を説明してきましたが,規範や価値観の観点からBIの合理性・必然性を説明していきます。
▼「働かざる者,食うべからず」の進化論的合理性▼
「働かざる者,食うべからず」は旧約聖書にも記されていることでも有名は,古くから存在する規範です。
しかも,キリスト教文化圏だけでなく,イスラム圏にもアジアにも世界中の文明圏に根付いている普遍的なものでもあります。
つまり栄えた文明が必ず備えている規範であり,言い換えるなら,文明が栄えて発展するために不可欠な規範であったとみなすことができます。
このことは考えてみれば当然のことです。
第一次・第二次産業革命革命までの人類の生活は最低生活費水準であったが,それはつまり,それまでのコミュニティー/社会の生産物(主に食糧)はその集団に属する人々がなんとかギリギリ生きていけるだけの水準でしかなかったということです。
すなわち生産に貢献しない者を養う余力がなかったということを意味します。
働かない者にまで食糧を分配するとコミュニティー全体が飢えてしまうため,働かない者には食わせないという規範は,その集団を維持するためには当然の掟ともいうべき,集団が生き延びるための規範であったのです。
しかし,圧倒的な生産力がある社会であれば,「働かなくても,食ってよし」にしたとしても,その社会にとって致命的な不都合はないと言えます。
▼豊かになっても「働かざる者,食うべからず」が維持されてきた理由▼
〇二つのギモン
(1)産業革命以降,経済的余裕を得られるようになったが,なぜ「働かざる者,食うべからず」の規範が維持されたのか
(2)貢献と報酬のバーターを無視して結果平等の理念で国家を運営しようとした共産主義,社会主義国は,なぜ失敗したのか
〇産業革命以降もなぜ「働かざる者,食うべからず」が維持されたのか
働いた量や成果に応じて収入が得られるといった規範(勤労の承認と奨励)が認められたのは16世紀の宗教改革によってである。
カトリック教会においては,蓄財はもちろん,勤労や創意工夫すらも奨励しておらず,禁欲と倹約を是として穏やかに従順に暮らし,もし幾ばくかの余剰があれば協会に献上するのが神の思し召しであるというものでした。
したがっておおく働いたからといって個人的に多くのものを得ることは強欲な行為であり,教会の教義に反するとされていました。
これに対して,カルバン派は「職業は神によって与えられたものであり,その職を全うすることによって救われる」と説き,宗教改革を経た17世紀以降は,「勤労と蓄財は神の思し召しに適う」という価値観が社会に浸透しました。
18世紀に起こった産業革命では,産業資本家の利害としては,可能な限り労働者を働かせることが望ましかったため,「働かざる者,食うべからず」の規範は強まった。
産業革命からしばらくの間(約50年間)は,女性から老人,子供に至るまで,一日15時間労働,休日は2週間に一日だけといった過酷な労働が横行しました。
こうした風潮の下では,社会全体の富が増えても「働かなくても,食ってよし」とはなりません。
その後の19世紀以降も,帝国主義による国力増強という国家権力からの要請と資本家からの収益極大化欲求によって,労働者の勤労が求められ続けたので「働かなくても,食ってよし」を実現し得るだけのGDP水準に達した後も「働かざる者,食うべからず」の規範は続いたのです。
19世紀前半には過酷な労働条件を抑制する規制が設けられたり,社会的弱者に対する社会保障制度が導入されたりするようになったが,その動機は民主主義的平等の達成を図ろうとするものではなく,労働力の合理的な再生産と社会擾乱の抑制という功利的なものでした。
20世紀になってからも,民主主義の基本理念の一つである「自由と自己責任」の原則,及び資本主義の基本ルールである貢献に応じた分配(貢献と報酬のバーター)に合致した「働かざる者,食うべからず」という規範は,私有財産権の尊重に裏打ちされて人々にも納得感をもって受け入れられ,正当な社会規範として受け入れられてきました。
〇「働かなくても,食ってよし」で共産主義は破綻したのか
崩壊の要因には,官僚機構の腐敗,資本主義国以上の階級社会化,自由抑圧に対する不満等々複数あるが,最大の原因は市場主義を採用しなかったことによる経済活力の低下です。
市場機能が欠如した経済運営を行うことによって生じる非効率が原因となって経済が沈滞し,国力が停滞して,自由主義陣営との冷戦構造に耐えられず体制崩壊したのです。
*非効率
(1)市場経済を欠くため,経済資源を最も効率よく活用して最大の成果を生み出すことができない。
(2)市場経済を欠くため,環境変化や新しいニーズを取り込んだ生産活動や経済構造の変化も実現しない。
▼技術発明は社会形態と規範を刷新する▼
人類はこれまでにも,新しい技術の開発に伴って,それに合う新しい形態や新しい理念・規範をつくり出してきました。
例:狩猟時代→家族・血族を中心にした50人くらいまでの集団 基本的に平等
農耕→100人から300人の村 階層・階級,政治の原型 格差のある分配
産業革命→都市の大規模化,民主主義,資本主義
AIとBIによって人類は歴史的に「新しいステージ」に立ち,「働かなくても,食ってよし」という理念が社会基盤を成す価値観/思想となる。
▼「新しいステージ」の3つの歴史的成果▼
〇3つの特徴
(1)AIを活用することで実現する圧倒的な生産性向上によって,だれもが生きていくための必需には何ら不自由しないで済むだけの財貨が極めて効率的に生み出されるようになる。
(2)これまでは格差と貧困によって現実的な機会の平等は達成されなかった。
BIを導入することにより国民全員に生活/就労における現実的な選択肢が与えられることになり,民主主義社会の十分条件ともいえる経済的な機会の平等も整えられることになる。
(3)AIとBIによって人間が生きるために働くことから解放されて,生きるための労働以外の活動を行うために生きる社会になる。
▼AI+BIの社会で人間はどう生きるか▼
働く必要のない社会において人間はどのように活動すれば豊かな生活を営むことができ,充実した人生を送ることができるのでしょうか?
(1)AIとBIが労働と経済にもたらすインパクト
〇労働量は減り,仕事の価値は再構成され,経済のウェイトは低下する。
≪1≫社会全体での人間の総労働量は大幅に減少する。
≪2≫知的作業に対する人間の需要は縮小し,賃金も低下する。一方,感情労働は給与が上昇し,社会的地位も向上する。即ち,労働の価値転換が起きる。
≪3≫過酷,或いはつまらない仕事は淘汰され,人間は金銭的動機ではなく,やりがいや楽しさといった精神的満足を動機として仕事を選ぶようになる。
≪4≫1~3の結果,人間の活動における経済活動の占める割合が縮小し,世の中における経済の重要度が低下する。
第一次・第二次産業革命のケースと比べて,これから起きるであろう変化は圧倒的にスピードが速いと考えられます。
30年後から50年後には世の中の職種ポートフォリオも,人間が職業選択をする際の動機も,人々のワーキングスタイルも,すっかり変わっているのは確実と考えられます。
こうした変化によってもたらされる文明論的変化ともいえるのが,≪4≫「経済活動の総量と重要度の低下」です。
中世においては勤労や経済は神によって卑しいこととされていましたが,宗教改革や産業革命を契機に勤労と経済が肯定される文明論的価値転換が起きました。
それから現在まで経済は世の中を統べる神のような存在となり,経済合理性が善悪の判断基準にすらなっています。
こうした「経済=神」という現代の価値構造を,AIとBIが再び転換することになります。
〇生きるための労働がなくなる。
AIによる圧倒的な生産力と給付水準を拡大したスーパーBIが導入されることで,働かなくてもよくなる可能性が十分にあります。
この新しいステージでは生きるための対価を得るために仕方なくやらされる労働はなくなると考えます。
☆仕事の3分類
1 労働→生きるための糧を得るためにやるもので,非自発的,受動的な姿勢での取り組みになる。
2 仕事→自分の特性を生かしたり,自己成長につなげたいとする動機をもって,選択して就くものである。
金銭的報酬以外の要素も入っていることがポイントであり,取り組む姿勢も自発的・能動的である。
3 活動→人や社会との交流を通じて自己実現や社会貢献をしようとするモノである。
自発的,能動的に行うものであるが,対価の獲得を意識しない点が仕事との大きな相違である。
〇労働なき時代の仕事と活動
生きるための労働が不要になれば、多くの人々は働かなくなるのかというと,実は人間はそのようにはできていません。
生きるために働く必要のない状態に置かれても,人間はただ遊興に身をやつすだけでもなく,無為に時をやり過ごすわけもはない性向を本能のうちにもっていると考えられます。
例:ギリシア時代の市民
〇遊びをせんとや生まれけむ
人間は働かなくてよくなたっ時でも,無為に人生を浪費したり遊興に耽溺したりするわけではないとはいっても,人間全員が朝から晩まで真・善・美を追求して生きるわけではないことはもちろんです。
人間が人間であるための根拠として「言葉」と並んで挙げられるのが「遊び」です。
〇究極的に豊かな社会
以上みてきたように,人間は働かなくても生きていける「新しいステージ」において,価値を生む仕事をしたり,意義のある活動をしたり,さらには楽しむためだけに遊んだりすると考えられます。
これらのこういに共通するのは自発性です。
豊かさとは「自由,すなわちやりたいことをやれる選択肢を持つこと」と定義したが,まさに「自分がこれをやりたいから,やる」という状態が万人に実現する社会とは,究極的に豊かな社会ということができます。
(2)AI+BIの世の中で豊かに生きるための条件▼
〇「自分がやりたいから,やる」が成立する社会で幸せな人生を送る条件→やりたいこと自ら持つこと
〇「退屈の不幸」と「人生,不可解なり」
〇豊かになるための能力
AIとBIが生きるための糧を保証してくれて,必需と外的強制が無くなった世界において,人が豊かな生活と充実した人生を手に入れるために必要な資質は「やりたいことを見出す能力」ということになります。
経済の時代の魔法の杖であるお金には結びつかないのであれば,ほとんどの人は頑張れないものです。
しかし,AIとBIによって世の中における経済の重要度と存在感が低下した社会になると「万能のお金」の魔法は消えてしまいます。
そうした社会においては,いくら多額のお金を稼ぎ,莫大な資産を保有していたとしてもそれで開けるモノ・コトは経済的価値の対象だけであり,そもそも経済の重要度と存在感が低下した世の中においては,大した喜びや豊かさの実感にはつながりません。
したいことは何でもできるだけの自由度を誰もが得たときに,何をすれば自分が一番うれしいのか,一番豊かな気持ちになれるのかを自分自身で見いだせないと,AIとBIが与えてくれる自由度を豊かな生活と充実した人生に繋げることができません。
豊かになるために必要かつ有効な資質は,社会が「新しいステージ」にシフトすることによって「金を稼ぐ能力」から「やりたいことを見出す能力」へとシフトするのです。
〇経験と修練
人間はどのようにすればやりたいことを見出し,実際にやることができるのか。→経験と修練を積むこと。
何が楽しいかは人それぞれであるが,どの趣味(遊び=外的制約がない。成果も意義もない。人生を豊かにするための難易度が最も高い)も,やってみなければその楽しさを実感することはできません。
人間は経験を通じてものをわかることができる存在なのです。
なにをやるかをきめるための第一歩は,選択肢を持つための経験を広げることです。
いくら遊びだとはいっても,その遊びを楽しむためには修練が必要です。
何もやらなくてもよいからといって何も経験しようとせず,修練も積まなければ,楽しみを得ることはできないということです。
やりたいことを見つけるために積極的に経験を広げ,楽しむために修練を積むことが,「新しいステージ」で豊かな人生を享受するための要件なのです。
〇人間らしさを守ること
豊かに生きるための要件である「経験することと修練すること」は,心身の両面で人間らしさを大切にすることです。
「アルタミラやラスコーの遺跡」「ギルガメッシュ叙事詩」など,食うため,生きるためにつくり出した作品ではありません。
絵を描きたい,物語を語りたいという内発的創造欲求によって作り出されたものです。
一日中野山を走り回って狩猟のお供をする猟犬は,散歩の量が足りないと体調を崩し,不機嫌になったり,場合によってはうつ病になったりします。
つまり本来持っている能力を十分に発揮できない生活は,心身の健康を壊してしまうのです。
同じことが人間にも当てはまります。
人間は,身体的にも,知的にも,感情的にも,持てるポテンシャルを最大限に発揮してこそ快感と満足を得ることができるのです。
AIが財貨をつくり出し,BIによって誰もが働かずとも生きていけるようになった時に人間がやるべきことは,心的にも身体的にもポテンシャルをフルに働かせて経験と修練を積むことなのです。
◆ あとがき ◆
残る懸念ー争いや制服の性向ー
豊かであれば平安が維持されるかというと,国力の更なる伸長を目指して他国を征服しようとしたり,従属させようとする傾向が生じがちです。
売上や利益といった経済的成果から解放されている官僚機構は経済合理性に縛られずに,組織の論理と人間の性向/本能だけで動く集団ですが,この官僚機構はどの国においても国益よりも省益,省益よりも局益という派閥争いを行います。
人間は,敵がいなければ,敵をつくり出してでも争いをしたがる性向があるのです。
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